浜松 賃貸の性能
市場を一方向に傾かせたくないときには、どちらにもとれるよう「あいまい」に語り、政策の自由度を確保する。
目標を掲げて自らの手を縛るようなことはしない。
N銀審議委員のF氏はG金融政策をこうみる。
「市場の一員として、市場と同じ体温でいる。
市場の後を追い、オーバーキルにはならないという安心感がある。
だからデフレ脱却が見通せるまでしばらく焦らずに量的緩和を続けるしかない。
金融不安はほぼ解消したが、来年四月のペイオフ解禁を前に流動性供給には万全を期すことだ。
脱デフレには消費者物価だけでなく、資産価格にも目配りがいる。
ドグマに陥らず生きた経済の現実を見据えながら、肩の力を抜いて「出口」を探ることが肝心だろう。
「両手を後ろに縛られてボクシングをするようなものだ」。
故郷、大阪に戻った気安さなのか、FN銀総裁は講演で就任当初に語ったフレーズを再び使った。
量的緩和という未踏の領域での政策のもどかしさからか。
打たれても打たれても、デフレと戦うしかない宿命からか。
そこにはいつか両手をふりほどいて金利機能を取り戻したいというN銀の悲願もにじむ。
量的緩和から五年目を迎えて、日本経済の足取りはしっかりしてきた。
四月一日のペイオフ全面解禁にも不安はない。
しかし、米国経済のインフレ懸念をよそに、日本経済はなおデフレの出口がみえていない。
「最後のデフレファイター」FN銀の忍耐力が試されるのはこれからだろう。
両手を縛られているわりにF氏はゆったり構えていた。
何度も口をついて出る言葉は「一目冨号」(寛容)だった。
「デフレ脱却のために、我々は冒冒号だ。
ゆっくりとゆとりをもって対応するの(先制的)が反則だが、我々は一八○度違う。
金融政策のジレンマという人がいるが、「市場を恐れ市場に敬意を払う」。
議長は就任の際の言葉を自らに課してきたはずだ。
G調にどう学ぶか。
N銀はいま試されている。
「ジレンマ覚悟でやっている」。
語尾を強める話しぶりは、確信に基づくようでもあり、自らに言い聞かせるようでもある。
量的緩和はどんな効果があったか。
「放っておけばデフレスパイラルになりかねなかった。企業のリストラと銀行の不良債権処理をつなぎあわせる環境はできた。
ペイオフ解禁は大きな通過点だ。金融システムはモード転換できたが、金融政策はもう少し時間をかけデフレ脱却をめざす」
脱デフレの目安で消費者物価指数(CPI)に固執しすぎるという見方もある。
技術革新もあり、消費者物価は上がりにくい。
「超吟醸酒のようなコアコアCPIでみるのは、魅惑のワルツかもしれないが、心躍らされない。
すべてを含んだCPIで判断したい」
量的緩和の大枠を維持しながら、当座預金の残高目標は下げていいという声も出始めた。
「必要以上に流動性供給するのが量的緩和だ。
あまりにも必要以上で違和感がつのりすぎれば、何らかの修正はいるとは思うが、本当にそうなるか慎重に見極めたい。早めに対応するのではなく、後からついていく。
我々は一周遅れのC銀行なのだ」
脱デフレを担うFN銀は二十年間の金融政策の重荷を背負っている。
それは一九八五年のプラザ合意後の金融政策協調に始まった。
S総裁時代に超緩和を長引かせたことがバブル発生の一因になった。
後を継いだM総裁は「平成の鬼平」として引き締めでバブル退治に臨んだが、それはバブル崩壊を加速し、大幅な金融緩和に追い込まれた。
公定歩合一・七五%と緩和の弾丸が残り少なくなるなかで登場したM総裁は出だしでつまずく。
円急騰下で公定歩合下げ観測が強いにもかかわらず、金利の低め誘導ですませようとした。
それが円高・株安をあおり、結局、大幅利下げを余儀なくされた。
速水優総裁が引き継いだのは公定歩合○・五%の超低金利だった。
その後、ゼロ金利政策に移行したが、金利機能の復活をめざすあまりゼロ金利解除を焦る。
その焦りが結局、量的緩和という未踏の領域に踏み込ませる。
この二十年の教訓は失敗を取り戻そうとすることが新たな失敗につながるという冷厳な事実である。
過去の呪縛を解き放ち、市場と経済の実態を直視し将来をにらんで政策のかじを取るしか「コップ一杯の水が必要な患者にバケツー杯の水を与えるようなもの」とT元審議委員は量的緩和に懐疑的だが、「Iを三度たたいて渡るF政策は市場に安心感を与え、結局、金利機能を取り戻す近道かもしれない」と読む。
金融政策が袋小路に追いつめられたのはマクロ政策のなかで過重な負担をかけたせいでもある。
では、F金融政策はどうあるべきか。
速水時代を支えたY元副総裁の見方はこうだ。
「量的緩和は意図せざる金融システム対策にはなったが、流動性供給の波及経路が遮断されたため景気・物価対策という本来の効果は生まなかった」、そして長期緩和の副作用は家計からの大きな所得移転だとし「日本経済が異常期を抜け出すいまこそ効果と得失を総合的に考え直すときだ」とある。
金融政策偏重ではどうしても政策の振れが大きくなる。
経済活性化のための税制改革や需要創出型の構造改革をかみあわせれば、量的緩和との相乗作用が働き、流動性の波及度も高まるはずだ。
FN銀に「忍耐と寛容」の日々はなお続く。
しかし、金融政策の殻に閉じこもり孤独な戦いに陥ってはならない。
GFRB議長がH上院議員に批判されたのは、金融政策ではなく財政赤字拡大だった。
G流に学ぶなら、財政、年金、郵政、構造改革など他の政策分野に積極的に口出しすることだろう。
「制度崩壊リスクがない保証をみせることが消費者行動の縛りを解き、デフレ脱却にも有効だ」とF氏自身考える。
「両手を縛られたボクサー」から抜け出す道は意外にそんなところにある。
もしA氏がエコノミストの道を選ばず、クラリネット奏者で終わっていたとしたら・・・。
それを思うと、ぞっとする。
古びたレコードのジャケットに小さく名前をとどめる代わりに、米国経済は混迷し、世界経済を揺るがしていたかもしれない。
そのG氏が来年一月、十八年余りに及ぶFRB議長の座を降りる。
早めに退任をGとその時代表明したのは、あらかじめ市場に織り込ませる市場流金融政策の一環だろう。
それにもかかわらずG後には不安が漂う。
米国の財政と経常収支の「双子の赤字」は危険水域にある。
市場を巧みに誘導し、海外から資本を引きつける。
そんな神業はだれにでもできるわけではない。
絶大な信頼の後には、冷厳な現実が待ち受ける。
一九八五年春、ニューヨーク駐在になってまず会ったのがG氏だった。
米国経済の本質を見抜く洞察力はさすがだったが、何度取材しても新聞の一面に見出しが躍ることはなかった。
ウォール街では弱気のC氏、強気のW氏に対して、中庸で通してだから、地味なG氏がP氏の後継候補に浮上したときは半信半疑だった。
あるCEA委員長経験者も「AがFRB議長になるなら、驚きだ」ともらしていた。
前任のカリスマ性が高ければ高いほど、後継には不安がつきまとう。
カリスマ性のかたまりのような大男に対して、猫背の中年男は見栄えがしなかった。
むしろカリスマ性のなさこそが持ち味だったのである。
そのG氏が名議長の名をほしいままにしたのはなぜか。
市場のなかにいて市場を驚かせない自然体の政策運営に徹したからであるのはいうまでもない。
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